Energy Therapist

エナジーセラピスト

2012年2月24日金曜日

グループリラクゼーション会:2月25日

明日グループリラクゼーション会をします。そのおしらせです。3時からです。もしもここを読まれて、興味のある方はメールをください。


今回のテーマ:「怒ったっていいじゃない」

最近とても強く思うのですが、自分自身の自分や周りに対するジャッジメント、批判的な心がむくむくと涌いてくるなーと。
そして、そうなっていることに気がついて、さらに自分を戒めよう、責めようとする。
自分に腹も立つし、その怒りをどうすることもできない。そんな感覚になっているというのに、はたと気がつくことが多いです。

そこで思ったのが、「怒ったっていいじゃない」。
怒る自分を抑えるというのは一見ベストチョイスに思えるのですが、その場だけのもの。
その根本にあるものをしっかり見据えないと体に悪いものが残っていきます。

私の大好きな、というかとても感動した論文を書いたDr.Bruce McEwenの説によると、ストレスというのもに対しての人間のとっさの反応は有名なFight-Flight反応っていわれる、いわゆる戦うか逃げるか、みたいな感じで、アドレナリンがぱーっとでて、その火事場のくそ力みたいなエネルギーを使ってストレスに対応するのですが、現在の都会での暮らしでは、ストレスに対してその反応はでるのですが、その体の中の湧き出たアドレナリンは使われること無く放出だけされて終わってしまうのです。
その瞬間はそれはそれでいいのですが、これが何度も何度も、そして数年にわたって続いていくと、体に支障をきたし始める、という彼の理論。
その長年のストレスのせいでいわゆる成人病と言われる病気、循環器系疾患、糖尿病などになっていく、と考えられています。

この「怒りを抑える」というとっさの対応もこのストレスの法則のように、その瞬間はそれでいいのだけど、長く長く同じように怒りを抑えるということをしていくと、どこかに支障をきたし始める。

じゃあ、どうするの、って話をしたいと思っています。そして、もちろんリラクゼーション。怒りのリリースができればと思っています。

2012年2月3日金曜日

Group Relaxation: 2/4/12

明日、グループリラクゼーションを行います。

テーマなどは以下!


私は、なぜだか忙しくさせてもらっています。
そのせいで、すっかり今年始まって最初のグループが2月になってしまいました。。。

そんな忙しい中、日々、学びだな、と感じながらも生活しています。
学校がらみの文献をまだ読んでいるのですが(もうこれ以上読んでもさらに論文長くなるだけなのでいらないのですが。。。)それらがやっぱり面白くて。

病は気からと言いますが、私がこの臨床健康心理学を目指したのは、この「病は気から」を学問的に勉強して、実践的に病院や医療の場、そしてセラピーで活用していく、という事がしたくてだったんです。
私が大学院に入った頃は、そんな私の期待に応える文献はあまりなかった気がしたのですが、最近ではすっかり心理学の世界も変化してきていて、さらに私自身も変化して、知識と体験が増えた事で学術論文に面白いものが増えた気がします

自分の変化が大きいのかもしれませんが。

そんな自分が変化していく、というきっかけ、人との関係をよくしていく、充実した時間を増やす、などのヒントって突然どこかからやってきたりして、そのひらめきや気づきで自分が変わり、周りも変わり、充実が増す、と思います。

そこで今回のテーマ。

「気づき、ひらめき、発見、直感」

これらの大切さ、そしてどのように気づきを増やすか、気がつくか、などについて話をしたいと思っています。

なにかに気づいてはっとする。その気づきによって、自分自身も周りの見方、自分自身の見方、人の見方が変わったりして。そんな「見方」が変わるだけで、対応も変わり、反応も変わり、いろいろなことが自ずと変化していって、「波に乗る」事ができる気がします。

私の卒論アドバイザーも言ってましたが、セラピーや瞑想はこの「気づき」の為にすることだよねって。

実践的にどういうことをしてその「気づき」「直感」を促すか、ということをテーマにお話、それといつものリラクゼーションをしたいと思います。

このリラクゼーション自体もその気づきのきっかけになったりします。
どんな発見があるか、お楽しみに。

Group Relaxation: How to become more insightful.

Date: Sat Feb 4
Time: 1pm-3pm

ご参加されるかたは場所などをご案内しますので、ご連絡ください。

今後のテーマの予定:
「インナーチャイルド:revisit」
「Sex」これは待ちに待っている人も多いかも。私がやっているグループでなぜこれがまだテーマじゃないのか、って感じですよね。次くらいには。
それと、過去世を探る誘導瞑想も考えています。

お楽しみにー

2012年1月23日月曜日

Inner Child

インナーチャイルド

一時流行ったような。

昔、お友達に勧められて、シャクティー・ガーウェインさんのテープを聴きまくってしばらくやっていた。
初めてした時にとってもびっくりした。

あのインナーチャイルドはいったい誰なの?という感じだし、自分の妄想の創造物だと思うと、なんだか信用できるような信用できないような、なんの価値もないような、変な自分自身への疑いも持ちつつ、やり続けた。

その初めての時の驚きが、自分の想像の作り出したものであったとしても、とても大事なものに会ったという気がして、続けてみようと思わせるものだった。

私の最初に会ったインナーチャイルドは怒っていて、男の子で、とにかく相手をしてくれなかった。
なにかを話しかけたり、なにか言ってくれるはずで、何かをもらえるはずなのに、それも全て無視だった。あまりにも長い間ほったらかしにしてしまったから。ほったらかしにしただけでなく、ひどい扱いをしてしまっていたのか。それだけ自分の心の奥にある大事なものを大事だと思わずに無視して過ごしていたからなのか、彼はなかなか心を開いてはくれなかった。

毎日やっていたら、段々ちゃんと相手をしてくれるようになり、甘えてくれるまでになった。

それと同時に、自分自身の普段の生活も少しづつ変わってきている気がした。
今思い返すと、さらにその変化はあったなーと思わせる。

自分が自分のことを少しでも大事にする様になった気がする。その時はまだまだだったけど、全く自分のことを考えていなかったその時の自分から考えると大きな変化だった。

あまりその時にははっきりと解ってはいなかったが、どこか効果が既に表れていたんだろうな、と。

その後、すばらしいセラピストに出会い、セラピーを受け、自分自身もいろいろな体験をして、気づきがあって、そして、ヴィパッサナーに行き、瞑想の大切さをしり、論文をかいたり、いろいろな文献を読んだり、実践的に自分の生活の中で、様々な努力をしたりすることで、インナーチャイルド誘導瞑想が植えてくれた種をしっかり育ててくる事ができたような気がしてます。

そして、最近このインナーチャイルドをしてみたら、今度はとってもかわいい女の子になっていて、まだ少し寂しそうだけど、会いにいけば会いにいく程、いろいろな新しい発見をくれる子になっていました。
不思議な程に新しい気持ちを与えてくれて、新しい気づきをくれます。

それをグループでも体験してもらいたくて、グループリラクゼーション会をする時によくこのインナーチャイルド誘導瞑想をしています。

その子供は、自分の中にある大事な部分で、自然と普段の生活の中でいらないと思ってないがしろにしている自分の一部。
悲しがっていたり、楽しそうにしていたり、サイキックの様になにかを完全にみている子だったり、やさしかったり、怒っていたり。
それら全てが自分の一部。

人って、こういないといけない、と思って過ごしているので、その理想の自分の像にはまらない自分の部分は押し殺して生きて、そのうちそんな部分があったことさえ忘れてしまう。

それらも全て自分のものとしり、受け止め、受け入れる事でさらにいろいろなものが見えてきて、本当に自分に優しくなること、そして人に優しくなること、感謝する気持ちなんかを心底感じて、学べる。

パワフルです。

いつもクライアントさんにも言うのですが、自分が怒っていても、悲しくても、その反対で嬉しかったりと、一つのものに関していろいろな反応を自分がしてしまって、そのうちの一つだけがまるで許されると信じている様に、どれか対面的、対社会的に適応して周りから受け入れられるものを一つ選ぼうとするけど、どれも自分の大事な部分だから、それぞれをちゃんとみてあげてくださいって。それだけいろいろな感情や考えがでてきていいのですよ、って。

そこで一つにしぼろう、それ以外は自分のものではないと押し殺して、無意識に押しやる事が、苦しさ、勘違い、空回りの根源だと思います。

少しでもみなさんの周りが明るくクリアになるグループや個人セッションをしていきたいな、と思う今日この頃でした。


2012年1月21日土曜日

Insight

次のグループのテーマはこのInsight。
気づき。
Intuitionも。

私と私の卒論のアドバイザーと話していたことがあるのですが、彼と同意しているのが、この気づきを促す方法。
私も彼も瞑想をする人、教える人。瞑想がすばらしいという事を知っている人。
その瞑想がなによりもこの気づきを促すものだよね、と彼とも話していました。

瞑想に抵抗がある人や、こんなことがなにかの役に立つと思えない人や、どうしても10分とじっと座っているのが耐えられない人や、いろいろな人がいると思います。
そういう人が瞑想とまではいかないまでも、なにかしら近い体験をしたり、違った形で、でも瞑想に似た作用で気づきが促されるように、とこのテーマを思いつきました。

もちろん、リラクゼーションも助けになるとは思います。
それと一緒に、他にもいろいろなエクササイズができます。

きっと、なにもしないというイメージの瞑想よりも、なにかをするという発想の方が抵抗のある人ははいりやすんだろうな、とも思い、いろいろと頭の中ではアイデアが巡っています。


2011年12月29日木曜日

グループリラクゼーション:テーマ「許し」


今回のテーマは「許し」

来年の新しい抱負を考える前に、しっかり心をデトックスするつもりでリラクゼーション。
さらに、テーマの「許し」を自分にしてあげてください。

人間、なかなか人を許すことも難しかったりするのですが、さらに難しいのは自分を許すこと。
今年を振り返って、反省をしたりするのは決して悪いことではありません。とてもいいことだと思います。
ただ、その反省と同時に、何か強い感情の向かうベクトルが自分自身に向かってしまう、自分を責めるという方向に行きがちではありませんか?
自分自身をみつめ、振り返るのはとてもいいこと、でもとても難しいことでもあります。
みつめているつもりでも、常に考えるのは自分のためのようで人のためだったり、人のせいだったり、自分と外(人であったり、状況であったり)との関係性の中でしか物事が見れない。言い換えると、結局フォーカスは外。自分以外のもの、人。誰がどうしたとか、これがこうだから、自分はこうしたんだ、悲しかったんだ、うれしかったんだ。
それらを知ることも1つですが、さらに、どんな事が起こったときにでもCommonにある「自分」というものだけを見る。「自分」の反応をなにかとの関係性の中だけでみるのではなく、その反応、考え、感情そのものをみつめる、どこから来たんだろうと興味を持ってみる、観察する。そういうことが癒しへとつながる。

自分だけにフォーカスをあて、自分のことをじっくり知って、認める、そして「許す」ということができると最高の癒しが得られ、さらに周りの人に対して、本当に心のそこから優しくなれるのではないかと思います。そうなったら、そこからは相乗効果でさらに心地のいい空間が自分の周りに広がるわけです。

そんなところで、肝心なのがこの「許し」です。

最近では医療系や心理学系の研究界でも注目を集めているトピックである「許し」
許しということができる人が肉体的にも精神的にも他よりも健康だ、という見解が出てきています。
病気などと付き合っていく上でも、この「許し」というものが効果をあらわすのではないか、とも思われています。

その許しを促すリラクゼーションと気づきのある話をしたいと思っています。

2011年12月15日木曜日

Group Relaxation

隔週で行っているグループリラクゼーションの会のこと。


今年の夏前くらいからはじめたこのグループ。 もともと、私は普通に大学院でCBTというCognitive Behavioral Therapyというのを学んだりしていて、他のNYにある臨床心理学の大学院とすこし違って、私の学校はこの「認知行動療法、認知行動心理学」に重きを置く、研究メインな臨床心理学部なので、学校でも患者に行う様々なリラクゼーションテクニックや、スキルなどをしっかり学ぶのですが、それを生かして、さらに、私が個人的に研究もしている瞑想などの要素も少し取り入れてリラクゼーションをしています。 


最初に始めたころはまだまだ東北の地震の影響が大きく、ある程度急な影響という時期を越えてはいるが、継続的、そして長期的な影響に移行し始めるぐらいの時期でした。 
ストレスや心配事や何かしらの心的な影響を及ぼすことって、体にも大きく影響していて、敏感な人、そのような部分に普段から意識を向けている人は気がつけるのですが、ほとんどの場合、仕事や生活が忙しくて疲れているだけ、と思い、あまり気にかけなかったり、体や心の変化に気がつきにくくなったり。
さらに、リラクゼーションなんてものが程遠いもののように、体がそんな感覚を味わうことなく、どんどんリラクゼーションから離れていく。


気がつかない間に。。。 


自分自身を知る、心を知る、覗き込んで、自分をしっかりみつめて、いろいろな自分の部分を受け入れ、包み込む。 そんな作業がセラピーだと思っているのですが、そういう自分を促すのに、感が冴えるようにするために、このリラクゼーションがとても大事だと思うのです。 
それを特に、震災後のなんだかんだと影響を受けているけど、日本にさえいないし、なにも出来ないでいる「見えないストレス」に蝕まれていく時期なのではないか、とグループをしようと思い始めたときに思ったのです。 


メンタルヘルス系の日本人の団体でボランティアしているのですが、そこでも日本になにかメンタルヘルスの面でできること、ということでさまざまなプロジェクトが立ち上がっていて、そのミーティングなどがあったのですが、そのときにも、実は離れたところにいて精神的に影響を受けていたり、メンタルな面、身体的な面での変化のトリッガー(きっかけ)になっていたりしているのだけど、気がつかずに何かしらの悪化だけを感じていたり、それにさえ気がつかなかったり、と私たち自身のセルフケアってものも同じように重要だという話にもなっていました。 そんな「見えないストレス」の影響にこれはいいのではないか、と思ってやり始めたグループリラクゼーション。 


グループが苦手で、人がいるとリラックスなんてできない、なんて感じている人もいるかもしれませんが、意外と、慣れてしまうと、グループとその空間が信用できて、自分自身のスペースをちゃんと確保できると、そこからは逆にそのグループでの気の変化というか、ダイナミズムがあって、それがとても良い刺激になって、一人でリラクゼーションをするときとは違う発見があったりするのです。


 ここでグループリラクゼーションの時の流れを説明すると。。。

約2時間ほどのグループです。
毎回なにかコミュニケーションスキルアップや新しい視点を紹介すべく、テーマがあり、そのテーマについて話をします。

そして、簡単な瞑想というか誘導をしながら体と精神を整えます。

リラクゼーションを次にします。 体を楽な体勢にしてもらい、誘導で深いリラクゼーションを体験してもらいます。そのときに、インナーチャイルドに会いにいく、とか自分の中の奥底にいる何でも知っている叡智の存在であるインナーガイドに会いに行くといったような誘導もいれてリラクゼーションをします。 
まだやっていませんが、将来的に、過去世にもどる誘導のリラクゼーションもしようと考えています。 


リラックスはしている、とか思っていても、こんなに深いリラクゼーションは意外と体験したことはない人が多いと思います。 一人でそうしようとしてもなかなかそこまでの深いリラクゼーションにならなかったり、人の声の誘導で体験したことのない感覚を味わい、それを知ることで普段の体の緊張や変化に敏感になっていく事ができると思います。


隔週で行っています。 興味のある方はご連絡ください!

2011年10月5日水曜日

meditation

前回ヴィパッサナーについて書いているのに、また瞑想がタイトル。

日々、瞑想が大事だと感じています。

どんなときでも、心の落ち着きと客観性を持てる余裕が大事だと思う。
そんな自分をいろいろな角度で養うのが瞑想だとさらに強く感じています。

どんな瞑想法でもいいだろうし、時間も短くてもいいので、少しじっとする、意識を高めているのに安らかな時間を持つのはとても大事だと思います。

2011年6月29日水曜日

Vipassana

ヴィパッサナー

Goenkaさんの広めているヴィパッサナーセンターのインフォはここです。

他にもInsight Meditation Centerというところでも行っているみたいですが、友達の話によるとこちらはコストもそこそこかかるし、ゴエンカさんの方のヴィパッサナーよりも少し楽、だとか。

私は実際にInsightのほうを試したことがないので、わからないのですが、ゴエンカさんのほうの、リンクをはったところはきつかった。。。

10日間、話さず、まわりと目も合わさず、読まず、書かず、運動もしちゃだめで、ただただ静かに自分を観察。とんでもない妄想や不安に襲われ、まず気がつくのは自分の不安がほぼ自ら作り上げている妄想がほとんど、だということ。

不安な気持ちだけではない、眠気とかもつらいそうだ。幸い、私はこの10日間の間眠いと感じたことは一度もなく、しかも夜はなかなか寝付けず、毎日4-5時間しか寝ていなかったのに、昼寝もなく過ごしていましたが。

私がつらかったのは体。3日目から本格的ヴィパッサナー瞑想に入るのですが、1時間動いてはいけない。これが相当つらかったです。
どんなに始まる前に、これは楽だ、と思う体勢を見つけて、それで挑んでも、すぐに足はしびれ、とにかくあちこちが痛くなるし、つらくなる。

それでも私は頑張りました。
何がなんでも動くまい!と。

おかげさまで、10日間何とか動かず、しっかりと瞑想してきました。
最後には要塞の様に積んでいたクッションもほぼいらず、強い体に。

そんなヴィパッサナーにいったのはもう1年も前。
今も瞑想はもちろんしています。ただ、毎日出来ていないときもあるのですが。

この1時間たっぷり座る瞑想をしっかりして、知ったことは、30分以上は座らないと意味がないこと。
1時間の間、どんなに素敵な考えが浮かんでもそれに執着して考えたり、わぁーすてき、凄いと感動して、そればっかり考えて、その思い付きをどんどん広げていったりすることはせずにいることがどんどんと素晴らしい発想が浮かんでくること。
瞑想中はどうでもいい、というか、流して流して流しまくるのですが、そうすることで、溢れ出す泉のごとくどんどん涌いてくる。

これが、瞑想時ではないときにも発揮されていくのだと思います。
そして、冷静にじっくりと意味のある時間をかけてアクションに変えていく。

そういう点でこの1時間きっちりしっかり瞑想して座る意味があると思いました。

これが、私のセラピーにものすごく生かされています。

最近はじめたグループリラクゼーションでは、この1時間かけないと感じられない体の感覚が比較的簡単に味わえる気がしてます。
もちろん、しっかり座った瞑想とは違うのですが、まずはこのリラクゼーションから始めてみるのが瞑想体験のない方にはお勧めかもしれません。

また行きたいヴィパッサナー。

2011年5月24日火曜日

Intuition Medicine

Intuition Medicine

Medical Intuitive 日本語で「直感医療」と書いてました。

上は最近私が購入した本、「Body of Health」を書いた著者、フランチェスカ・マッカートニーが主宰している団体のサイト。
そして、下は、英語のウィキペディアでの直感医療者とでもいうのでしょうか、そういう能力を持っている人の説明が書かれているページをリンクしてみました。

昔、私が働いていた研究室のボスが貸してくれた本があって、それがこのMedical Intuitionについてのものでした。その著者の方はお医者さんで、研修医時代に直感的になぜかこの病気についてしっかり勉強しておかないとと思って勉強したら、次の日にその病気の患者さんが運び込まれる、という体験があり、誤診しかねないような疾患でも、彼女の直感の素晴らしさで、事前にわかったり、誤診することなく治療できたりした事がきっかけで、自身の医療に取り入れたりしていたそうです。
今では、電話のセッションで話をするだけで、その人の健康状態が見え、いろいろな助言をするプロのMedical Intuitiveとしてお仕事されています。
私のボスも彼女のセッション(電話だけなのに確か250ドル程したと思います)を電話でうけ、事前に婦人科系の病気に気がついて治療したりしていました。

その本のタイトルも作者も覚えていなくて、未だ思い出せないのですが、内容が衝撃的で、その後友達に話をしたら、この人じゃないかと教えてもらい、調べていて、この言葉にまたぶちあたった訳です。

忘れていた呼び名でした。Medical Intuitive。

友達が教えてくれたのはクリステル・ナニという人で、ナースの方で、いろいろな本を書いており、日本語にも訳されています。
キャロライン・メイスも有名な直感医療者で、私も彼女のテープや本をちらりと見た事がありました。でも、そこまで魅力を感じる事無く、過ごしていたのですが。

ジュディス・オーロフという人も有名で、彼女は私の働いていた研究室で招待してトークをしてもらった事があります。
あまり感動せず、がっかりした記憶だけが残っています。

そのせいなのか、忘れていたのですが。

直感医療とは、言うならば、気やオーラや五感だけでは感じないものも感じて、診断・治療すること。
医療従事者だったり、そうじゃない人もいたりするのですが、体のエネルギーをみるだけで、病気がわかり、できる癒しは施す人。

私が最初にボスから借りた本には、体のどの部位に出る痛みや不調は心のこういう部分とつながっている、といった情報が載っていて、とても為になったので、どうしてもそんな本が欲しいな、と思っていて。

そんな中、また検索してみて、この本は、と思ったのでこの新しいフランチェスカさんの本を購入してみたら、かなり良い本でした。

この本では、チャクラシステムやエネルギーについて、色について、オーラについて書かれています。とてもわかり易く、日々の生活をさらにハッピーで学び多い、成長のある、すばらしい時間にしていくための良いヒントやリマインダーがいっぱいで、今出会いたかった本、という感じがしてます。

その本の中から何かをこのブログで少しづつ紹介できればな、とも思っています。

グラウンディングすることの大切さ、瞑想の大切さ、意味など、内容も多彩で、いろいろ知っている事だったのに、忘れていたり、つい気をぬいていたりする事だったりして、これからどんどん洗練していきたい私に本当に必要な本。



そして、まず読み始めて思った事が、体への注意力の大切さ。
自分の体への注意があまりなく、変化に気がつかなかったり、十分に敏感でないから見過ごしてしまう病気が沢山あるだろうな、と。

私自身、数年前に2週間のレモネード断食をするまで自分の胃腸がこんなに疲れていて酷使されていることに気がついてなかったりしたし。
こんな感じで、多くの人が自分の体の変化や不調に気がつかずに過ごしているというケースは多いと思います。そして、大きな病気になって初めて気がつく、といったパターンも思っている以上にありそう。

気がつくという事の大切さ。

ただ、体に注意をむけるだけ。
それって簡単そうで意外と難しいのです。

1日に1度でもいいので、5分から10分、体のモニタリングをすることをよく私はクライアントに勧めています。

深呼吸をしながら、頭の先から足の先までをゆっくりスキャンしていくような感じで、体へ注意を向けます。
それぞれの箇所の痛い部分、かゆいところ、不快なところ、リラックスしているところ、やわらかくなっているところ、という感じで、単純にそれぞれの箇所で感じているものをただ感じる、見つめる。
それを数分するだけでも体が少しリラックスして、自分の体の変化に気がつき易くなります。

ぜひしてみてください!

またいろいろ紹介します!

2011年4月13日水曜日

心のブロック

心のブロック

どんなに解除して、自分自身を解放しても、次から次に現れてくるもの。

最近気がついた。

心のブロックに気がついて、しっかり観察していくこと、それをじっくり見ること、そして、そんな部分がある自分を許すこと、心のそこから知り、許し、受け入れることで自然とそのブロックがなくなっていく。

とても大事なことだと信じて、自分自身の心のブロックに関しても、そしてセラピストとしてクライアントの心のブロックに関して真剣に向き合ってきていると思う。

随分とそのブロックを取り除くためにいろいろなことを試し、自分に向き合い、解放され、変化してきていると思うが、最近気がついたのが、やればやるほど次から次へと新たなブロックが現れるということ。

なんだか悲しく聞こえる感じがするが、そういう意味でこのブログを今日書き始めたわけではない。

次なるブロック。新たなものなのか、もっともっと心の奥深くにあったもが上の層がはがれて見えてきたのか、どんなものなのかはわからないが、次から次へと現れるブロックは自分自身の成長と実りを表している気がするし、このようなチャレンジがあるからこそ、さらに懐深い、やさしく、癒す人間となっていくんだな、と。

成長していない、成長できないからブロックが現れるのではなく、しっかり成長して、どんどん人として、魂の深さをましていっているからこそでてくるブロックなんだと思った。

そう考えると、どんどんこい!って感じ。

「初心忘るべからず」ですね。

この言葉、普通にとらえられがちな解釈では「浅い」ようです。間違えているというよりも、私は浅いだけかなと思ったので、あえて浅いと言ってみました。

ビジネスパーソンへ、という題でみつけたこの言葉の解釈を貼り付けます。そして、その下に、Yahooでこの言葉の意味は一般的に解釈されているのとは違うのではないか、と誰かが問いかけたのに対しての答えを貼り付けます。どちらもわかりやすく、納得がいき、さらに、これから本当にこの心を忘れずにいたいな、と思わせるものです。


The 能から。。。

誰でも耳にしたことがあるこのことばは、世阿弥が編み出したものです。今では、「初めの志を忘れてはならない」と言う意味で使われていますが、世阿弥が意図とするところは、少し違いました。

世阿弥にとっての「初心」とは、新しい事態に直面した時の対処方法、すなわち、試練を乗り越えていく考え方を意味しています。つまり、「初心を忘れるな」とは、人生の試練の時に、どうやってその試練を乗り越えていったのか、という経験を忘れるなということなのです。

世阿弥は、風姿花伝を始めとして、度々「初心」について述べていますが、晩年60歳を過ぎた頃に書かれた『花鏡』の中で、まとまった考えを述べています。その中で、世阿弥は「第一に『ぜひ初心忘るべからず』、第二に『時々の初心忘るべからず』。第三に『老後の初心忘るべからず』」の、3つの「初心」について語っています。

「ぜひ初心忘るべからず」

若い時に失敗や苦労した結果身につけた芸は、常に忘れてはならない。それは、後々の成功の糧になる。若い頃の初心を忘れては、能を上達していく過程を自然に身に付けることが出来ず、先々上達することはとうてい無理というものだ。だから、生涯、初心を忘れてはならない。

「時々の初心忘るべからず」

歳とともに、その時々に積み重ねていくものを、「時々の初心」という。若い頃から、最盛期を経て、老年に至るまで、その時々にあった演じ方をすることが大切だ。その時々の演技をその場限りで忘れてしまっては、次に演ずる時に、身についたものは何も残らない。過去に演じた一つひとつの風体を、全部身につけておけば、年月を経れば、全てに味がでるものだ。

「老後の初心忘るべからず」

老齢期には老齢期にあった芸風を身につけることが「老後の初心」である。老後になっても、初めて遭遇し、対応しなければならない試練がある。歳をとったからといって、「もういい」ということではなく、其の都度、初めて習うことを乗り越えなければならない。これを、「老後の初心」という。

このように、「初心忘るべからず」とは、それまで経験したことがないことに対して、自分の未熟さを受け入れながら、その新しい事態に挑戦していく心構え、その姿を言っているのです。その姿を忘れなければ、中年になっても、老年になっても、新しい試練に向かっていくことができる。失敗を身につけよ、ということなのです。

今の社会でも、さまざまな人生のステージ(段階)で、未体験のことへ踏み込んでいくことが求められます。世阿弥の言によれば、「老いる」こと自体もまた、未経験なことなのです。そして、そういう時こそが「初心」に立つ時です。それは、不安と恐れではなく、人生へのチャレンジなのです。




「初めてその事にたずさわった時の感動や意気込みを忘れずに物事に当たらなければならないない」
・・・「初心忘るべからず」の意味ををそう解釈している人は少なくないようです。

「初心」と書いてしまうと「初・心」ですから、「最初の時の心のもちよう」だと解釈してしまいがちですが、正確に言えば「最初の時の芸のレベル」を意味します。
「初心不可忘」は世阿弥の書いた「花鏡」のなかにある言葉ですが、世阿弥は次のように書いています。

『しかれば当流に万能一徳の一句あり。 初心忘るべからず。この句、三ヶ条の口伝あり。是非とも初心忘るべからず。時々の初心忘るべからず。老後の初心忘るべからず。この三、よくよく口伝すべし』

つまり、三つの「初心忘れるべからず」があるのです。
まずは「最初の時の芸の未熟さを忘れてはならない」ということです。初心者の時の自分の芸がどれだけ未熟であったかということを覚えておくことで、自分の芸の上達ぶりを相対的に知ることができますし、過去の過ちを覚えておけば、同じ過ちを犯さなくてすみます。

そして、芸が上達していく過程においても、徐々に段階を踏んでいくわけですから、その段階段階におけるそれぞれの“初心”があるはずです。芸を上達させたいのであれば、その時々の初心も忘れてはなりません。

さらに、年老いてある程度の芸の極みにまで達しても、これで良いと言えるような到達点はありません。たとえ達人の境地に達したとしても、その境地に足を踏み入れた時点で、それはそれで新たな初心なのです。