今回のテーマ:「怒ったっていいじゃない」
Chaosphere
2012年2月24日金曜日
グループリラクゼーション会:2月25日
今回のテーマ:「怒ったっていいじゃない」
2012年2月3日金曜日
Group Relaxation: 2/4/12
テーマなどは以下!
2012年1月23日月曜日
Inner Child
毎日やっていたら、段々ちゃんと相手をしてくれるようになり、甘えてくれるまでになった。
それと同時に、自分自身の普段の生活も少しづつ変わってきている気がした。
今思い返すと、さらにその変化はあったなーと思わせる。
自分が自分のことを少しでも大事にする様になった気がする。その時はまだまだだったけど、全く自分のことを考えていなかったその時の自分から考えると大きな変化だった。
あまりその時にははっきりと解ってはいなかったが、どこか効果が既に表れていたんだろうな、と。
その後、すばらしいセラピストに出会い、セラピーを受け、自分自身もいろいろな体験をして、気づきがあって、そして、ヴィパッサナーに行き、瞑想の大切さをしり、論文をかいたり、いろいろな文献を読んだり、実践的に自分の生活の中で、様々な努力をしたりすることで、インナーチャイルド誘導瞑想が植えてくれた種をしっかり育ててくる事ができたような気がしてます。
そして、最近このインナーチャイルドをしてみたら、今度はとってもかわいい女の子になっていて、まだ少し寂しそうだけど、会いにいけば会いにいく程、いろいろな新しい発見をくれる子になっていました。
不思議な程に新しい気持ちを与えてくれて、新しい気づきをくれます。
それをグループでも体験してもらいたくて、グループリラクゼーション会をする時によくこのインナーチャイルド誘導瞑想をしています。
その子供は、自分の中にある大事な部分で、自然と普段の生活の中でいらないと思ってないがしろにしている自分の一部。
悲しがっていたり、楽しそうにしていたり、サイキックの様になにかを完全にみている子だったり、やさしかったり、怒っていたり。
それら全てが自分の一部。
人って、こういないといけない、と思って過ごしているので、その理想の自分の像にはまらない自分の部分は押し殺して生きて、そのうちそんな部分があったことさえ忘れてしまう。
それらも全て自分のものとしり、受け止め、受け入れる事でさらにいろいろなものが見えてきて、本当に自分に優しくなること、そして人に優しくなること、感謝する気持ちなんかを心底感じて、学べる。
パワフルです。
いつもクライアントさんにも言うのですが、自分が怒っていても、悲しくても、その反対で嬉しかったりと、一つのものに関していろいろな反応を自分がしてしまって、そのうちの一つだけがまるで許されると信じている様に、どれか対面的、対社会的に適応して周りから受け入れられるものを一つ選ぼうとするけど、どれも自分の大事な部分だから、それぞれをちゃんとみてあげてくださいって。それだけいろいろな感情や考えがでてきていいのですよ、って。
そこで一つにしぼろう、それ以外は自分のものではないと押し殺して、無意識に押しやる事が、苦しさ、勘違い、空回りの根源だと思います。
少しでもみなさんの周りが明るくクリアになるグループや個人セッションをしていきたいな、と思う今日この頃でした。
2012年1月21日土曜日
Insight
気づき。
Intuitionも。
私と私の卒論のアドバイザーと話していたことがあるのですが、彼と同意しているのが、この気づきを促す方法。
私も彼も瞑想をする人、教える人。瞑想がすばらしいという事を知っている人。
その瞑想がなによりもこの気づきを促すものだよね、と彼とも話していました。
瞑想に抵抗がある人や、こんなことがなにかの役に立つと思えない人や、どうしても10分とじっと座っているのが耐えられない人や、いろいろな人がいると思います。
そういう人が瞑想とまではいかないまでも、なにかしら近い体験をしたり、違った形で、でも瞑想に似た作用で気づきが促されるように、とこのテーマを思いつきました。
もちろん、リラクゼーションも助けになるとは思います。
それと一緒に、他にもいろいろなエクササイズができます。
きっと、なにもしないというイメージの瞑想よりも、なにかをするという発想の方が抵抗のある人ははいりやすんだろうな、とも思い、いろいろと頭の中ではアイデアが巡っています。
2011年12月29日木曜日
グループリラクゼーション:テーマ「許し」
2011年12月15日木曜日
Group Relaxation
今年の夏前くらいからはじめたこのグループ。 もともと、私は普通に大学院でCBTというCognitive Behavioral Therapyというのを学んだりしていて、他のNYにある臨床心理学の大学院とすこし違って、私の学校はこの「認知行動療法、認知行動心理学」に重きを置く、研究メインな臨床心理学部なので、学校でも患者に行う様々なリラクゼーションテクニックや、スキルなどをしっかり学ぶのですが、それを生かして、さらに、私が個人的に研究もしている瞑想などの要素も少し取り入れてリラクゼーションをしています。
最初に始めたころはまだまだ東北の地震の影響が大きく、ある程度急な影響という時期を越えてはいるが、継続的、そして長期的な影響に移行し始めるぐらいの時期でした。
ストレスや心配事や何かしらの心的な影響を及ぼすことって、体にも大きく影響していて、敏感な人、そのような部分に普段から意識を向けている人は気がつけるのですが、ほとんどの場合、仕事や生活が忙しくて疲れているだけ、と思い、あまり気にかけなかったり、体や心の変化に気がつきにくくなったり。
さらに、リラクゼーションなんてものが程遠いもののように、体がそんな感覚を味わうことなく、どんどんリラクゼーションから離れていく。
気がつかない間に。。。
自分自身を知る、心を知る、覗き込んで、自分をしっかりみつめて、いろいろな自分の部分を受け入れ、包み込む。 そんな作業がセラピーだと思っているのですが、そういう自分を促すのに、感が冴えるようにするために、このリラクゼーションがとても大事だと思うのです。
それを特に、震災後のなんだかんだと影響を受けているけど、日本にさえいないし、なにも出来ないでいる「見えないストレス」に蝕まれていく時期なのではないか、とグループをしようと思い始めたときに思ったのです。
メンタルヘルス系の日本人の団体でボランティアしているのですが、そこでも日本になにかメンタルヘルスの面でできること、ということでさまざまなプロジェクトが立ち上がっていて、そのミーティングなどがあったのですが、そのときにも、実は離れたところにいて精神的に影響を受けていたり、メンタルな面、身体的な面での変化のトリッガー(きっかけ)になっていたりしているのだけど、気がつかずに何かしらの悪化だけを感じていたり、それにさえ気がつかなかったり、と私たち自身のセルフケアってものも同じように重要だという話にもなっていました。 そんな「見えないストレス」の影響にこれはいいのではないか、と思ってやり始めたグループリラクゼーション。
グループが苦手で、人がいるとリラックスなんてできない、なんて感じている人もいるかもしれませんが、意外と、慣れてしまうと、グループとその空間が信用できて、自分自身のスペースをちゃんと確保できると、そこからは逆にそのグループでの気の変化というか、ダイナミズムがあって、それがとても良い刺激になって、一人でリラクゼーションをするときとは違う発見があったりするのです。
ここでグループリラクゼーションの時の流れを説明すると。。。
約2時間ほどのグループです。
毎回なにかコミュニケーションスキルアップや新しい視点を紹介すべく、テーマがあり、そのテーマについて話をします。
そして、簡単な瞑想というか誘導をしながら体と精神を整えます。
リラクゼーションを次にします。 体を楽な体勢にしてもらい、誘導で深いリラクゼーションを体験してもらいます。そのときに、インナーチャイルドに会いにいく、とか自分の中の奥底にいる何でも知っている叡智の存在であるインナーガイドに会いに行くといったような誘導もいれてリラクゼーションをします。
まだやっていませんが、将来的に、過去世にもどる誘導のリラクゼーションもしようと考えています。
リラックスはしている、とか思っていても、こんなに深いリラクゼーションは意外と体験したことはない人が多いと思います。 一人でそうしようとしてもなかなかそこまでの深いリラクゼーションにならなかったり、人の声の誘導で体験したことのない感覚を味わい、それを知ることで普段の体の緊張や変化に敏感になっていく事ができると思います。
隔週で行っています。 興味のある方はご連絡ください!
2011年10月5日水曜日
meditation
日々、瞑想が大事だと感じています。
どんなときでも、心の落ち着きと客観性を持てる余裕が大事だと思う。
そんな自分をいろいろな角度で養うのが瞑想だとさらに強く感じています。
どんな瞑想法でもいいだろうし、時間も短くてもいいので、少しじっとする、意識を高めているのに安らかな時間を持つのはとても大事だと思います。
2011年6月29日水曜日
Vipassana
2011年5月24日火曜日
Intuition Medicine
2011年4月13日水曜日
心のブロック
誰でも耳にしたことがあるこのことばは、世阿弥が編み出したものです。今では、「初めの志を忘れてはならない」と言う意味で使われていますが、世阿弥が意図とするところは、少し違いました。
世阿弥にとっての「初心」とは、新しい事態に直面した時の対処方法、すなわち、試練を乗り越えていく考え方を意味しています。つまり、「初心を忘れるな」とは、人生の試練の時に、どうやってその試練を乗り越えていったのか、という経験を忘れるなということなのです。
世阿弥は、風姿花伝を始めとして、度々「初心」について述べていますが、晩年60歳を過ぎた頃に書かれた『花鏡』の中で、まとまった考えを述べています。その中で、世阿弥は「第一に『ぜひ初心忘るべからず』、第二に『時々の初心忘るべからず』。第三に『老後の初心忘るべからず』」の、3つの「初心」について語っています。
「ぜひ初心忘るべからず」
若い時に失敗や苦労した結果身につけた芸は、常に忘れてはならない。それは、後々の成功の糧になる。若い頃の初心を忘れては、能を上達していく過程を自然に身に付けることが出来ず、先々上達することはとうてい無理というものだ。だから、生涯、初心を忘れてはならない。
「時々の初心忘るべからず」
歳とともに、その時々に積み重ねていくものを、「時々の初心」という。若い頃から、最盛期を経て、老年に至るまで、その時々にあった演じ方をすることが大切だ。その時々の演技をその場限りで忘れてしまっては、次に演ずる時に、身についたものは何も残らない。過去に演じた一つひとつの風体を、全部身につけておけば、年月を経れば、全てに味がでるものだ。
「老後の初心忘るべからず」
老齢期には老齢期にあった芸風を身につけることが「老後の初心」である。老後になっても、初めて遭遇し、対応しなければならない試練がある。歳をとったからといって、「もういい」ということではなく、其の都度、初めて習うことを乗り越えなければならない。これを、「老後の初心」という。
このように、「初心忘るべからず」とは、それまで経験したことがないことに対して、自分の未熟さを受け入れながら、その新しい事態に挑戦していく心構え、その姿を言っているのです。その姿を忘れなければ、中年になっても、老年になっても、新しい試練に向かっていくことができる。失敗を身につけよ、ということなのです。
今の社会でも、さまざまな人生のステージ(段階)で、未体験のことへ踏み込んでいくことが求められます。世阿弥の言によれば、「老いる」こと自体もまた、未経験なことなのです。そして、そういう時こそが「初心」に立つ時です。それは、不安と恐れではなく、人生へのチャレンジなのです。
・・・「初心忘るべからず」の意味ををそう解釈している人は少なくないようです。
「初心」と書いてしまうと「初・心」ですから、「最初の時の心のもちよう」だと解釈してしまいがちですが、正確に言えば「最初の時の芸のレベル」を意味します。
「初心不可忘」は世阿弥の書いた「花鏡」のなかにある言葉ですが、世阿弥は次のように書いています。
『しかれば当流に万能一徳の一句あり。 初心忘るべからず。この句、三ヶ条の口伝あり。是非とも初心忘るべからず。時々の初心忘るべからず。老後の初心忘るべからず。この三、よくよく口伝すべし』
つまり、三つの「初心忘れるべからず」があるのです。
まずは「最初の時の芸の未熟さを忘れてはならない」ということです。初心者の時の自分の芸がどれだけ未熟であったかということを覚えておくことで、自分の芸の上達ぶりを相対的に知ることができますし、過去の過ちを覚えておけば、同じ過ちを犯さなくてすみます。
そして、芸が上達していく過程においても、徐々に段階を踏んでいくわけですから、その段階段階におけるそれぞれの“初心”があるはずです。芸を上達させたいのであれば、その時々の初心も忘れてはなりません。
さらに、年老いてある程度の芸の極みにまで達しても、これで良いと言えるような到達点はありません。たとえ達人の境地に達したとしても、その境地に足を踏み入れた時点で、それはそれで新たな初心なのです。