誰でも耳にしたことがあるこのことばは、世阿弥が編み出したものです。今では、「初めの志を忘れてはならない」と言う意味で使われていますが、世阿弥が意図とするところは、少し違いました。
世阿弥にとっての「初心」とは、新しい事態に直面した時の対処方法、すなわち、試練を乗り越えていく考え方を意味しています。つまり、「初心を忘れるな」とは、人生の試練の時に、どうやってその試練を乗り越えていったのか、という経験を忘れるなということなのです。
世阿弥は、風姿花伝を始めとして、度々「初心」について述べていますが、晩年60歳を過ぎた頃に書かれた『花鏡』の中で、まとまった考えを述べています。その中で、世阿弥は「第一に『ぜひ初心忘るべからず』、第二に『時々の初心忘るべからず』。第三に『老後の初心忘るべからず』」の、3つの「初心」について語っています。
「ぜひ初心忘るべからず」
若い時に失敗や苦労した結果身につけた芸は、常に忘れてはならない。それは、後々の成功の糧になる。若い頃の初心を忘れては、能を上達していく過程を自然に身に付けることが出来ず、先々上達することはとうてい無理というものだ。だから、生涯、初心を忘れてはならない。
「時々の初心忘るべからず」
歳とともに、その時々に積み重ねていくものを、「時々の初心」という。若い頃から、最盛期を経て、老年に至るまで、その時々にあった演じ方をすることが大切だ。その時々の演技をその場限りで忘れてしまっては、次に演ずる時に、身についたものは何も残らない。過去に演じた一つひとつの風体を、全部身につけておけば、年月を経れば、全てに味がでるものだ。
「老後の初心忘るべからず」
老齢期には老齢期にあった芸風を身につけることが「老後の初心」である。老後になっても、初めて遭遇し、対応しなければならない試練がある。歳をとったからといって、「もういい」ということではなく、其の都度、初めて習うことを乗り越えなければならない。これを、「老後の初心」という。
このように、「初心忘るべからず」とは、それまで経験したことがないことに対して、自分の未熟さを受け入れながら、その新しい事態に挑戦していく心構え、その姿を言っているのです。その姿を忘れなければ、中年になっても、老年になっても、新しい試練に向かっていくことができる。失敗を身につけよ、ということなのです。
今の社会でも、さまざまな人生のステージ(段階)で、未体験のことへ踏み込んでいくことが求められます。世阿弥の言によれば、「老いる」こと自体もまた、未経験なことなのです。そして、そういう時こそが「初心」に立つ時です。それは、不安と恐れではなく、人生へのチャレンジなのです。
・・・「初心忘るべからず」の意味ををそう解釈している人は少なくないようです。
「初心」と書いてしまうと「初・心」ですから、「最初の時の心のもちよう」だと解釈してしまいがちですが、正確に言えば「最初の時の芸のレベル」を意味します。
「初心不可忘」は世阿弥の書いた「花鏡」のなかにある言葉ですが、世阿弥は次のように書いています。
『しかれば当流に万能一徳の一句あり。 初心忘るべからず。この句、三ヶ条の口伝あり。是非とも初心忘るべからず。時々の初心忘るべからず。老後の初心忘るべからず。この三、よくよく口伝すべし』
つまり、三つの「初心忘れるべからず」があるのです。
まずは「最初の時の芸の未熟さを忘れてはならない」ということです。初心者の時の自分の芸がどれだけ未熟であったかということを覚えておくことで、自分の芸の上達ぶりを相対的に知ることができますし、過去の過ちを覚えておけば、同じ過ちを犯さなくてすみます。
そして、芸が上達していく過程においても、徐々に段階を踏んでいくわけですから、その段階段階におけるそれぞれの“初心”があるはずです。芸を上達させたいのであれば、その時々の初心も忘れてはなりません。
さらに、年老いてある程度の芸の極みにまで達しても、これで良いと言えるような到達点はありません。たとえ達人の境地に達したとしても、その境地に足を踏み入れた時点で、それはそれで新たな初心なのです。
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