Energy Therapist

エナジーセラピスト

2011年12月29日木曜日

グループリラクゼーション:テーマ「許し」


今回のテーマは「許し」

来年の新しい抱負を考える前に、しっかり心をデトックスするつもりでリラクゼーション。
さらに、テーマの「許し」を自分にしてあげてください。

人間、なかなか人を許すことも難しかったりするのですが、さらに難しいのは自分を許すこと。
今年を振り返って、反省をしたりするのは決して悪いことではありません。とてもいいことだと思います。
ただ、その反省と同時に、何か強い感情の向かうベクトルが自分自身に向かってしまう、自分を責めるという方向に行きがちではありませんか?
自分自身をみつめ、振り返るのはとてもいいこと、でもとても難しいことでもあります。
みつめているつもりでも、常に考えるのは自分のためのようで人のためだったり、人のせいだったり、自分と外(人であったり、状況であったり)との関係性の中でしか物事が見れない。言い換えると、結局フォーカスは外。自分以外のもの、人。誰がどうしたとか、これがこうだから、自分はこうしたんだ、悲しかったんだ、うれしかったんだ。
それらを知ることも1つですが、さらに、どんな事が起こったときにでもCommonにある「自分」というものだけを見る。「自分」の反応をなにかとの関係性の中だけでみるのではなく、その反応、考え、感情そのものをみつめる、どこから来たんだろうと興味を持ってみる、観察する。そういうことが癒しへとつながる。

自分だけにフォーカスをあて、自分のことをじっくり知って、認める、そして「許す」ということができると最高の癒しが得られ、さらに周りの人に対して、本当に心のそこから優しくなれるのではないかと思います。そうなったら、そこからは相乗効果でさらに心地のいい空間が自分の周りに広がるわけです。

そんなところで、肝心なのがこの「許し」です。

最近では医療系や心理学系の研究界でも注目を集めているトピックである「許し」
許しということができる人が肉体的にも精神的にも他よりも健康だ、という見解が出てきています。
病気などと付き合っていく上でも、この「許し」というものが効果をあらわすのではないか、とも思われています。

その許しを促すリラクゼーションと気づきのある話をしたいと思っています。

2011年12月15日木曜日

Group Relaxation

隔週で行っているグループリラクゼーションの会のこと。


今年の夏前くらいからはじめたこのグループ。 もともと、私は普通に大学院でCBTというCognitive Behavioral Therapyというのを学んだりしていて、他のNYにある臨床心理学の大学院とすこし違って、私の学校はこの「認知行動療法、認知行動心理学」に重きを置く、研究メインな臨床心理学部なので、学校でも患者に行う様々なリラクゼーションテクニックや、スキルなどをしっかり学ぶのですが、それを生かして、さらに、私が個人的に研究もしている瞑想などの要素も少し取り入れてリラクゼーションをしています。 


最初に始めたころはまだまだ東北の地震の影響が大きく、ある程度急な影響という時期を越えてはいるが、継続的、そして長期的な影響に移行し始めるぐらいの時期でした。 
ストレスや心配事や何かしらの心的な影響を及ぼすことって、体にも大きく影響していて、敏感な人、そのような部分に普段から意識を向けている人は気がつけるのですが、ほとんどの場合、仕事や生活が忙しくて疲れているだけ、と思い、あまり気にかけなかったり、体や心の変化に気がつきにくくなったり。
さらに、リラクゼーションなんてものが程遠いもののように、体がそんな感覚を味わうことなく、どんどんリラクゼーションから離れていく。


気がつかない間に。。。 


自分自身を知る、心を知る、覗き込んで、自分をしっかりみつめて、いろいろな自分の部分を受け入れ、包み込む。 そんな作業がセラピーだと思っているのですが、そういう自分を促すのに、感が冴えるようにするために、このリラクゼーションがとても大事だと思うのです。 
それを特に、震災後のなんだかんだと影響を受けているけど、日本にさえいないし、なにも出来ないでいる「見えないストレス」に蝕まれていく時期なのではないか、とグループをしようと思い始めたときに思ったのです。 


メンタルヘルス系の日本人の団体でボランティアしているのですが、そこでも日本になにかメンタルヘルスの面でできること、ということでさまざまなプロジェクトが立ち上がっていて、そのミーティングなどがあったのですが、そのときにも、実は離れたところにいて精神的に影響を受けていたり、メンタルな面、身体的な面での変化のトリッガー(きっかけ)になっていたりしているのだけど、気がつかずに何かしらの悪化だけを感じていたり、それにさえ気がつかなかったり、と私たち自身のセルフケアってものも同じように重要だという話にもなっていました。 そんな「見えないストレス」の影響にこれはいいのではないか、と思ってやり始めたグループリラクゼーション。 


グループが苦手で、人がいるとリラックスなんてできない、なんて感じている人もいるかもしれませんが、意外と、慣れてしまうと、グループとその空間が信用できて、自分自身のスペースをちゃんと確保できると、そこからは逆にそのグループでの気の変化というか、ダイナミズムがあって、それがとても良い刺激になって、一人でリラクゼーションをするときとは違う発見があったりするのです。


 ここでグループリラクゼーションの時の流れを説明すると。。。

約2時間ほどのグループです。
毎回なにかコミュニケーションスキルアップや新しい視点を紹介すべく、テーマがあり、そのテーマについて話をします。

そして、簡単な瞑想というか誘導をしながら体と精神を整えます。

リラクゼーションを次にします。 体を楽な体勢にしてもらい、誘導で深いリラクゼーションを体験してもらいます。そのときに、インナーチャイルドに会いにいく、とか自分の中の奥底にいる何でも知っている叡智の存在であるインナーガイドに会いに行くといったような誘導もいれてリラクゼーションをします。 
まだやっていませんが、将来的に、過去世にもどる誘導のリラクゼーションもしようと考えています。 


リラックスはしている、とか思っていても、こんなに深いリラクゼーションは意外と体験したことはない人が多いと思います。 一人でそうしようとしてもなかなかそこまでの深いリラクゼーションにならなかったり、人の声の誘導で体験したことのない感覚を味わい、それを知ることで普段の体の緊張や変化に敏感になっていく事ができると思います。


隔週で行っています。 興味のある方はご連絡ください!

2011年10月5日水曜日

meditation

前回ヴィパッサナーについて書いているのに、また瞑想がタイトル。

日々、瞑想が大事だと感じています。

どんなときでも、心の落ち着きと客観性を持てる余裕が大事だと思う。
そんな自分をいろいろな角度で養うのが瞑想だとさらに強く感じています。

どんな瞑想法でもいいだろうし、時間も短くてもいいので、少しじっとする、意識を高めているのに安らかな時間を持つのはとても大事だと思います。

2011年6月29日水曜日

Vipassana

ヴィパッサナー

Goenkaさんの広めているヴィパッサナーセンターのインフォはここです。

他にもInsight Meditation Centerというところでも行っているみたいですが、友達の話によるとこちらはコストもそこそこかかるし、ゴエンカさんの方のヴィパッサナーよりも少し楽、だとか。

私は実際にInsightのほうを試したことがないので、わからないのですが、ゴエンカさんのほうの、リンクをはったところはきつかった。。。

10日間、話さず、まわりと目も合わさず、読まず、書かず、運動もしちゃだめで、ただただ静かに自分を観察。とんでもない妄想や不安に襲われ、まず気がつくのは自分の不安がほぼ自ら作り上げている妄想がほとんど、だということ。

不安な気持ちだけではない、眠気とかもつらいそうだ。幸い、私はこの10日間の間眠いと感じたことは一度もなく、しかも夜はなかなか寝付けず、毎日4-5時間しか寝ていなかったのに、昼寝もなく過ごしていましたが。

私がつらかったのは体。3日目から本格的ヴィパッサナー瞑想に入るのですが、1時間動いてはいけない。これが相当つらかったです。
どんなに始まる前に、これは楽だ、と思う体勢を見つけて、それで挑んでも、すぐに足はしびれ、とにかくあちこちが痛くなるし、つらくなる。

それでも私は頑張りました。
何がなんでも動くまい!と。

おかげさまで、10日間何とか動かず、しっかりと瞑想してきました。
最後には要塞の様に積んでいたクッションもほぼいらず、強い体に。

そんなヴィパッサナーにいったのはもう1年も前。
今も瞑想はもちろんしています。ただ、毎日出来ていないときもあるのですが。

この1時間たっぷり座る瞑想をしっかりして、知ったことは、30分以上は座らないと意味がないこと。
1時間の間、どんなに素敵な考えが浮かんでもそれに執着して考えたり、わぁーすてき、凄いと感動して、そればっかり考えて、その思い付きをどんどん広げていったりすることはせずにいることがどんどんと素晴らしい発想が浮かんでくること。
瞑想中はどうでもいい、というか、流して流して流しまくるのですが、そうすることで、溢れ出す泉のごとくどんどん涌いてくる。

これが、瞑想時ではないときにも発揮されていくのだと思います。
そして、冷静にじっくりと意味のある時間をかけてアクションに変えていく。

そういう点でこの1時間きっちりしっかり瞑想して座る意味があると思いました。

これが、私のセラピーにものすごく生かされています。

最近はじめたグループリラクゼーションでは、この1時間かけないと感じられない体の感覚が比較的簡単に味わえる気がしてます。
もちろん、しっかり座った瞑想とは違うのですが、まずはこのリラクゼーションから始めてみるのが瞑想体験のない方にはお勧めかもしれません。

また行きたいヴィパッサナー。

2011年5月24日火曜日

Intuition Medicine

Intuition Medicine

Medical Intuitive 日本語で「直感医療」と書いてました。

上は最近私が購入した本、「Body of Health」を書いた著者、フランチェスカ・マッカートニーが主宰している団体のサイト。
そして、下は、英語のウィキペディアでの直感医療者とでもいうのでしょうか、そういう能力を持っている人の説明が書かれているページをリンクしてみました。

昔、私が働いていた研究室のボスが貸してくれた本があって、それがこのMedical Intuitionについてのものでした。その著者の方はお医者さんで、研修医時代に直感的になぜかこの病気についてしっかり勉強しておかないとと思って勉強したら、次の日にその病気の患者さんが運び込まれる、という体験があり、誤診しかねないような疾患でも、彼女の直感の素晴らしさで、事前にわかったり、誤診することなく治療できたりした事がきっかけで、自身の医療に取り入れたりしていたそうです。
今では、電話のセッションで話をするだけで、その人の健康状態が見え、いろいろな助言をするプロのMedical Intuitiveとしてお仕事されています。
私のボスも彼女のセッション(電話だけなのに確か250ドル程したと思います)を電話でうけ、事前に婦人科系の病気に気がついて治療したりしていました。

その本のタイトルも作者も覚えていなくて、未だ思い出せないのですが、内容が衝撃的で、その後友達に話をしたら、この人じゃないかと教えてもらい、調べていて、この言葉にまたぶちあたった訳です。

忘れていた呼び名でした。Medical Intuitive。

友達が教えてくれたのはクリステル・ナニという人で、ナースの方で、いろいろな本を書いており、日本語にも訳されています。
キャロライン・メイスも有名な直感医療者で、私も彼女のテープや本をちらりと見た事がありました。でも、そこまで魅力を感じる事無く、過ごしていたのですが。

ジュディス・オーロフという人も有名で、彼女は私の働いていた研究室で招待してトークをしてもらった事があります。
あまり感動せず、がっかりした記憶だけが残っています。

そのせいなのか、忘れていたのですが。

直感医療とは、言うならば、気やオーラや五感だけでは感じないものも感じて、診断・治療すること。
医療従事者だったり、そうじゃない人もいたりするのですが、体のエネルギーをみるだけで、病気がわかり、できる癒しは施す人。

私が最初にボスから借りた本には、体のどの部位に出る痛みや不調は心のこういう部分とつながっている、といった情報が載っていて、とても為になったので、どうしてもそんな本が欲しいな、と思っていて。

そんな中、また検索してみて、この本は、と思ったのでこの新しいフランチェスカさんの本を購入してみたら、かなり良い本でした。

この本では、チャクラシステムやエネルギーについて、色について、オーラについて書かれています。とてもわかり易く、日々の生活をさらにハッピーで学び多い、成長のある、すばらしい時間にしていくための良いヒントやリマインダーがいっぱいで、今出会いたかった本、という感じがしてます。

その本の中から何かをこのブログで少しづつ紹介できればな、とも思っています。

グラウンディングすることの大切さ、瞑想の大切さ、意味など、内容も多彩で、いろいろ知っている事だったのに、忘れていたり、つい気をぬいていたりする事だったりして、これからどんどん洗練していきたい私に本当に必要な本。



そして、まず読み始めて思った事が、体への注意力の大切さ。
自分の体への注意があまりなく、変化に気がつかなかったり、十分に敏感でないから見過ごしてしまう病気が沢山あるだろうな、と。

私自身、数年前に2週間のレモネード断食をするまで自分の胃腸がこんなに疲れていて酷使されていることに気がついてなかったりしたし。
こんな感じで、多くの人が自分の体の変化や不調に気がつかずに過ごしているというケースは多いと思います。そして、大きな病気になって初めて気がつく、といったパターンも思っている以上にありそう。

気がつくという事の大切さ。

ただ、体に注意をむけるだけ。
それって簡単そうで意外と難しいのです。

1日に1度でもいいので、5分から10分、体のモニタリングをすることをよく私はクライアントに勧めています。

深呼吸をしながら、頭の先から足の先までをゆっくりスキャンしていくような感じで、体へ注意を向けます。
それぞれの箇所の痛い部分、かゆいところ、不快なところ、リラックスしているところ、やわらかくなっているところ、という感じで、単純にそれぞれの箇所で感じているものをただ感じる、見つめる。
それを数分するだけでも体が少しリラックスして、自分の体の変化に気がつき易くなります。

ぜひしてみてください!

またいろいろ紹介します!

2011年4月13日水曜日

心のブロック

心のブロック

どんなに解除して、自分自身を解放しても、次から次に現れてくるもの。

最近気がついた。

心のブロックに気がついて、しっかり観察していくこと、それをじっくり見ること、そして、そんな部分がある自分を許すこと、心のそこから知り、許し、受け入れることで自然とそのブロックがなくなっていく。

とても大事なことだと信じて、自分自身の心のブロックに関しても、そしてセラピストとしてクライアントの心のブロックに関して真剣に向き合ってきていると思う。

随分とそのブロックを取り除くためにいろいろなことを試し、自分に向き合い、解放され、変化してきていると思うが、最近気がついたのが、やればやるほど次から次へと新たなブロックが現れるということ。

なんだか悲しく聞こえる感じがするが、そういう意味でこのブログを今日書き始めたわけではない。

次なるブロック。新たなものなのか、もっともっと心の奥深くにあったもが上の層がはがれて見えてきたのか、どんなものなのかはわからないが、次から次へと現れるブロックは自分自身の成長と実りを表している気がするし、このようなチャレンジがあるからこそ、さらに懐深い、やさしく、癒す人間となっていくんだな、と。

成長していない、成長できないからブロックが現れるのではなく、しっかり成長して、どんどん人として、魂の深さをましていっているからこそでてくるブロックなんだと思った。

そう考えると、どんどんこい!って感じ。

「初心忘るべからず」ですね。

この言葉、普通にとらえられがちな解釈では「浅い」ようです。間違えているというよりも、私は浅いだけかなと思ったので、あえて浅いと言ってみました。

ビジネスパーソンへ、という題でみつけたこの言葉の解釈を貼り付けます。そして、その下に、Yahooでこの言葉の意味は一般的に解釈されているのとは違うのではないか、と誰かが問いかけたのに対しての答えを貼り付けます。どちらもわかりやすく、納得がいき、さらに、これから本当にこの心を忘れずにいたいな、と思わせるものです。


The 能から。。。

誰でも耳にしたことがあるこのことばは、世阿弥が編み出したものです。今では、「初めの志を忘れてはならない」と言う意味で使われていますが、世阿弥が意図とするところは、少し違いました。

世阿弥にとっての「初心」とは、新しい事態に直面した時の対処方法、すなわち、試練を乗り越えていく考え方を意味しています。つまり、「初心を忘れるな」とは、人生の試練の時に、どうやってその試練を乗り越えていったのか、という経験を忘れるなということなのです。

世阿弥は、風姿花伝を始めとして、度々「初心」について述べていますが、晩年60歳を過ぎた頃に書かれた『花鏡』の中で、まとまった考えを述べています。その中で、世阿弥は「第一に『ぜひ初心忘るべからず』、第二に『時々の初心忘るべからず』。第三に『老後の初心忘るべからず』」の、3つの「初心」について語っています。

「ぜひ初心忘るべからず」

若い時に失敗や苦労した結果身につけた芸は、常に忘れてはならない。それは、後々の成功の糧になる。若い頃の初心を忘れては、能を上達していく過程を自然に身に付けることが出来ず、先々上達することはとうてい無理というものだ。だから、生涯、初心を忘れてはならない。

「時々の初心忘るべからず」

歳とともに、その時々に積み重ねていくものを、「時々の初心」という。若い頃から、最盛期を経て、老年に至るまで、その時々にあった演じ方をすることが大切だ。その時々の演技をその場限りで忘れてしまっては、次に演ずる時に、身についたものは何も残らない。過去に演じた一つひとつの風体を、全部身につけておけば、年月を経れば、全てに味がでるものだ。

「老後の初心忘るべからず」

老齢期には老齢期にあった芸風を身につけることが「老後の初心」である。老後になっても、初めて遭遇し、対応しなければならない試練がある。歳をとったからといって、「もういい」ということではなく、其の都度、初めて習うことを乗り越えなければならない。これを、「老後の初心」という。

このように、「初心忘るべからず」とは、それまで経験したことがないことに対して、自分の未熟さを受け入れながら、その新しい事態に挑戦していく心構え、その姿を言っているのです。その姿を忘れなければ、中年になっても、老年になっても、新しい試練に向かっていくことができる。失敗を身につけよ、ということなのです。

今の社会でも、さまざまな人生のステージ(段階)で、未体験のことへ踏み込んでいくことが求められます。世阿弥の言によれば、「老いる」こと自体もまた、未経験なことなのです。そして、そういう時こそが「初心」に立つ時です。それは、不安と恐れではなく、人生へのチャレンジなのです。




「初めてその事にたずさわった時の感動や意気込みを忘れずに物事に当たらなければならないない」
・・・「初心忘るべからず」の意味ををそう解釈している人は少なくないようです。

「初心」と書いてしまうと「初・心」ですから、「最初の時の心のもちよう」だと解釈してしまいがちですが、正確に言えば「最初の時の芸のレベル」を意味します。
「初心不可忘」は世阿弥の書いた「花鏡」のなかにある言葉ですが、世阿弥は次のように書いています。

『しかれば当流に万能一徳の一句あり。 初心忘るべからず。この句、三ヶ条の口伝あり。是非とも初心忘るべからず。時々の初心忘るべからず。老後の初心忘るべからず。この三、よくよく口伝すべし』

つまり、三つの「初心忘れるべからず」があるのです。
まずは「最初の時の芸の未熟さを忘れてはならない」ということです。初心者の時の自分の芸がどれだけ未熟であったかということを覚えておくことで、自分の芸の上達ぶりを相対的に知ることができますし、過去の過ちを覚えておけば、同じ過ちを犯さなくてすみます。

そして、芸が上達していく過程においても、徐々に段階を踏んでいくわけですから、その段階段階におけるそれぞれの“初心”があるはずです。芸を上達させたいのであれば、その時々の初心も忘れてはなりません。

さらに、年老いてある程度の芸の極みにまで達しても、これで良いと言えるような到達点はありません。たとえ達人の境地に達したとしても、その境地に足を踏み入れた時点で、それはそれで新たな初心なのです。

2011年4月5日火曜日

セラピストとしてしたいこと

瞑想中にいろいろ浮かんでも流していくのですが、瞑想中のひらめきはかなり衝撃的で、そのときは流して忘れたつもりでも、しっかりと頭に残るもの。

今日浮かんだことは・・・

セラピストとして、やはりクライアントが彼らのいろいろな部分に気がつくお手伝いをしているんだという意識があるのですが、どうしても問題のあるところばかりを見がちだな、と。
問題のあることにさえ気がついていないクライアントにとって、それが知れたり、その辺りに意識を持っていくきっかけとなったりするので、問題について話すのはそれはそれで重要なのですが、だいたいの人が問題にはなにかしら気がついているもの。

はっきりとした言葉で自分でしっかり認識はしていなくとも、どこか潜在意識的にわかっていて、だから大きな触れ幅で反応してしまったり。

そこで意外とわかっていない、気がついていない部分って自分のよさとか問題とは逆のところにあるポジティブで、光がいっぱいある、その人らしさがあふれている部分だったりするな、と。

だったら、私がセラピストとしてすることは、問題への気づきを促すことだけではなく、もしかしたらそれさえもすっ飛ばして、そのクライアントの知られざる「らしさ」のある、素敵なエネルギーあふれるところにクライアント自身が気がついて、知って、褒めて、愛でることができるようにすることだな、と思いました。

Sounds Niceなのですが、これは意外と難しい。

やってきました、いいチャレンジ。

わくわくしてきました。


2011年3月28日月曜日

SURVIVOR GUILTと癌

癌の患者さんの数はすごく多い。



上の記事によると、12万人ものアメリカ人(人口の4%)が癌の診断をうけながらも、癌でなくなることなく生存しているそうだ。
癌の早期発見や治療の進展発達などが加味して、沢山の方が癌による死亡を避けることが出来ている。
それはとてもすばらしいことで、乗り越えてきた強さがあり、今の命を尊ぶことが出来ているはずなのだが、彼らの精神的には安定していないということがこの記事に書かれている。

その説明として以下のことがあげられている。

ダモクレス症候群
ギリシャ神話のダモクレスのように、今まで楽しんでこれたことを「死」というものに直面し意識し始めてしまうと楽しめなくなってしまうことを言うそうだ。
大きな決断となる結婚や転職など、そういったことが出来なくなってしまう。

再発の不安
これは当然のことだ。
今は落ち着いているかもしれないが、いつ再発するかわからないため、常に不安を抱き続ける。

SURVIVOR GUILT 生存者の罪悪感
生きていることに対しての罪悪感。
病気になったことで他の病気の人のことをしったり、その人たちの気持ちがよくわかることで、自分だけ回復してきたり、元気になったり、再発の不安は持っているが、今すぐに命を脅かす状況でないことを素直に喜べず、周りに気を使っているような、そのため持ってしまう罪悪感。

これらが要因となって精神的な安定が癌の生存者の方たちにはない人が多いそうだ。

これは大きな問題だと思う。

私がこれらの問題の要点を読んで思うことは、がん患者さんたちが実は自分の実情をしっかり理解し、受け止めることができていないことからくるのだな、と。

よいことも悪いことも、どちらも目の前にあることは一度みつめて飲み込まなければいけないと私は思う。
ただ、こういうことがいま自分の目前に事実としてあるのだな、と。
それらに心が動揺したり、平気だったり、笑えたり、絶望的になったり、いろいろな感情がきっと芽生えると思う。ひとつの感情に偏らず、同じ状況に対して、様々な思いを抱くことがいたって普通だと思う。

そこで、人というのはひとつの感情にしないといけないという思い込みや、ポジティブに考えなければ、とか自分の考えが現実を見据えずにむやみにネガティブになったりと、そういう気持ちにとらわれて、どんどんと自分を追い込んでしまう。自責の念が以上に強くなる。

この反応もいたって普通ではあるが、決して健康的とはいえない。

これらの自責は明らかにDELUSION妄想であるから。

ひとつのことに対して、いろいろな感情をもつことはいいこと。それらを自分で批判することなく、一つにしなければという強迫観念を持つこともなく、ただ、自分の心の中にこれだけの気持ちや考えがあるのだとただ知る。

これを実践するだけで、幾分かの罪悪感や不安感は減っていくと思う。

私がよくクライアントにもいうこと。
どんな考えも感情も妄想であって、それは全てある意味私たちの中では事実である。いくつあってもおかしくないし、一つにしないといけないということもない。

全てを(いいことも悪いことも)一度認識して受け止めることで次へのステップや気づきにつながっていくもの。

そういったことを考えさせれれた記事だった。


快晴

今日はとてもお天気がいいです。

時間がこんなにあることも最近なかったような。

お天気がいいときに、日の光が入っているところで瞑想したら・・・と考えたり。

瞑想は本当にパワフル。

だからこそ、これについて語りたい気持ちと語りたくない気持ちと・・・
語りすぎて、よさを私のせいで半減どころかなくさせていまうのではないか、と思ったり。
でも、なにか言いたい。
どれだけのことを私に与えてくれているか。

霊気・・・というか、このセラピーを始めて、さらに瞑想の意味の深さを感じる。
知り合いの霊気マスターが、霊気の力をあげるには何がベストかと聞かれるが、瞑想が一番よね、と言っていた。

そのとおりだと思った。

そして、それを聞いて本当にほっとした。

私のやっているのは普通の霊気ではないし、私は霊気マスターではない。
でも、自分のしていることに自信があるし、セッションをすればするほど大好きになっていくし、新しい発見もあるし、学びがあって、そしてそれが自信にもつながっている。

そんな中、瞑想がとても意味深く、瞑想のすばらしさを日々感じていて、それがやはり、私のセッションでも生かされているな、と。

そしてこのお天気。

心地いいですねー。

いい日を過ごすぞ!

2011年3月24日木曜日

do what i can do now

今やれることをやる。

いろいろ考えすぎても仕方がない。

面白い記事を見つけたら、書くぞ、とまた意を新たにしました。

なにか、どこかで震災に関連したことを書かないといけないような強迫観念にかかっていたかのように、制限していた気がします。